昨年から今にかけてのこと:3 [東日本大震災]
そうやって、地震発生から1時間超が過ぎた。
(承前)
地震発生から、しばらく時間が経ち、北関東から東北地方にかけて、沿岸部の津波の被害が伝えられるようになってくる。
記憶している限りでは、大洗から始まった。
次々と、津波の映像が流れてくる。
名取。
どんどん、どんどん、名取川をさかのぼってくる黒い水。
NHKのアナウンサーは、盛んに実況しているけれども、私が覚えているのは、ただただ、野放図に川をさかのぼり、田畑を飲み込み、家々を崩していく何か訳のわからないもののことだった。
今でも覚えているのは、課内で皆が、ただただ立ちすくみテレビの画面を見つめている、課員の姿だった。
何も、言葉を発することが出来ない。
ただ、立ち尽くして、テレビの画面を見つめるだけ。
けれど、そのとき、皆、今時の震災・津波による被害が、ただならぬ事になるであろうことを覚悟していたと思う。
そのすぐ後、釜石の漁港が津波に呑まれる姿を見た。
釜石には、義兄が赴任しており、これはだめかもしれぬと思い定めた。
義兄は、釜石で官庁の要職に就いており、その事務所は釜石港のすぐそばにあったはず。その事務所は、テレビの画面からは、うかがい知れなかったが、次々と漁船が乗り上げる、そのすぐそばにあるのは確か。
暗然たる思いでその光景を見ていた。
しかし、次いで、自分の故郷の、自宅からすぐそばの漁港が波に呑まれ、漁船が次々と漁港に乗り上げる様子を見た。
実家は、自分が物心つく頃から地震があり、津波もあったが、大きな地震があったときも、それほどの被害はなかった。
しかし、このときばかりは、だめかもしれぬと、思った。
それほど、名取の津波の光景には衝撃を受けたし、釜石の津波もひどいものだった。
実家の光景のすぐ後に、陸前高田の様子が映し出された。
もう日も暮れて、真っ暗な陸前高田は、しかし、火に覆われていた。
陸前高田は、湾が大半を占めているのではないかと思ったのだが、しかし、その湾全体が、何が燃えているのか、そのすべてを火に覆い尽くされている。
南無三。
こんばんは。ご無沙汰しております。
寒い日が続きますね。お元気そうで何よりです。
ブログ、再開なさったのですね。それは良かった...笑。
やはり、細々でも構いませんので、続けてくださいね。
(返信はこちらに、と思いまして)
あの日のこと、忘れたことはありません。
息を止めて、そんな思いでここまで読み進めました。
日々記憶は風化し、気持ちは雑事に流され薄くなりがちですが、
この日のことはもちろん忘れられません。
関東に居ましても、あの瞬間、私も死を覚悟しました。
こんな思いは初めてでした。
あまりに被害が想像を超えていて、
今でも映画の一シーンのような光景、鮮明に覚えています。
恐ろしくて、怖くて、思考停止。
今思っても、よく国が残ったという思いです。
さて、年末は故郷に帰省されますか?
さまざまな思いがおありでしょうが、お元気で。
御身体ご自愛くださいませ。
どうぞよい年をお迎えください。
最後にメリークリスマス!!
by 芙蓉 (2012-12-26 00:11)
芙蓉様
すっかりご無沙汰です。
フェイスブックとツィッターにかまけておりました。
出向から帰任して、出向中とはまた別の気持ちで各地を訪ねております。
訪れる毎に、本当に息を呑みます。
すれ違う人がほとんどいない各地で、ただただ、歩き回るだけです。
ようやく、昨年のことを思い返す事ができるようになった思い出、ブログを再開しました。
何かのきっかけで、涙が止まらないことが、たびたびあります。
こうやって息災で、当たらし年を迎えることは、とても幸せなことなのだと思っております。
芙蓉さんも、良いお年をお迎えください。
by 酔仙亭響人 (2012-12-30 14:00)