昨年から今にかけてのこと:5 [東日本大震災]
東京電力福島原子力発電所のことは、なんとなく、気になっていた。
夜になって、とうとう、東電福島のニュースが入ってきた。
(承前)
今、色々と本を読むと、11日の夜から東京電力福島第一原子力発電所は、深刻な状況に至っていたことが分かる。しかし、当日夜はとにかく、地震と津波の影響に皆の目が向いていたように思う。もちろん、私もそうだ。
ブログでも、ツィッターでもフェイスブックでも、「フクシマ」などとは表記しない。「フクシマ」と表記することに、何の意味があるのかと思っている。ましてや「Fukushima」とか。何を意図しているのか?福島は福島だ。もちろん、宮城は宮城だ。不可思議な(不愉快な)レトリックだと思っている。
正直な話、自分自身、東北の(もちろん、一括りにはできないが)の被害について強い気持ちを寄せるようになったのは、自分の郷里が被害を受けつつも、ほんの一週間も経たずにニュースから消え失せてしまったことがあるが、震災後すぐの全国紙各紙で「がんばっぺ福島」などと、賢しらに方言を使った見出し・記事が続いたことにある。
このことは、後に書く。
とにかく、11日に深夜から東京電力福島第一原子力発電所の危機的な状況が報じられるようになる。
しかし、自分自身、「原発ムラ」の(片隅の)一員であったこともあり、正直な話、楽観していた。何とか、収束するだろうと思っていた。
11日深夜、多くの課員は帰っていたが、課長は相変わらず課長室を出たり入ったり。そして、窓際(補佐)を集めて情報共有が続いた。
その間、東電のニュースがウェイトを増しつつも、福島・宮城・岩手沿岸の津波被害の報道が流れ込んでくる。
気仙沼、陸前高田などの深夜の情景など。海面を炎がなめる様子は凄惨だった。プロパンガスのボンベや、漁港に備え付けられた燃油のタンクが燃え、爆発する様子を見るのはつらかった。
自分の郷里でも、自分の卒業した中学校が避難所になっており、皆寒さで震えているようだった。
実家に電話したが、停電しているとのこと。
不安・心配は募る。
その一方で、東京電力福島第一原子力発電所の報道も断続的であるが、引き続き流れてきていた。
そうやって、震災の一日目の夜は深まり、朝を迎えつつあった。
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