「蜩の記」読了 [読書]
すっかり読書日記。
アマゾンの内容紹介から
鳴く声は、命の燃える音に似て―― 命を区切られたとき、人は何を思い、いかに生きるのか? 豊後・羽根藩の奥祐筆・檀野庄三郎は、城内で刃傷沙汰に及んだ末、からくも切腹を免れ、家老により向山村に幽閉中の元郡奉行・戸田秋谷の元へ遣わされる。秋谷は七年前、前藩主の側室と不義密通を犯した廉で、家譜編纂と十年後の切腹を命じられていた。庄三郎には編纂補助と監視、七年前の事件の真相探求の命が課される。だが、向山村に入った庄三郎は秋谷の清廉さに触れ、その無実を信じるようになり……。命を区切られた男の気高く凄絶な覚悟を穏やかな山間の風景の中に謳い上げる、感涙の時代小説!
新聞書評(産経新聞・縄田一男)のあまりの絶賛ぶりにより、色々と探し回り、自宅近所の書店に在庫有りを発見し、取り置きしてもらった物を昨日購い、昨日読了。
急いで読み過ぎ・・・。
大層おもしろうございました。
最後は、泣けましたなぁ。
私ごときがいうまでもないことではあるが、小説って終結部が重要。
登場人物のひと言が、泣かせます。
基本的に史実にモチーフを求めた「歴史小説」というのは、未だにほとんど読まない。
専ら、ほぼ100%フィクションという作品を読んでいる。「時代小説」とでもいうのかな。
しかも好んで。
最近つらつら考えるに、なにゆえかという理由が何となく分かってきた。
時代小説の中には、現代の日本人が失ってしまった美質を見いだすことができる。
いや、「美質」なのかどうかは措くとして、日本人が憧憬する日本人の昔の姿を見つけることができる。
ノスタルジーといえばそれまでだが、作家達は、現代人が持ち得ない、あるいは捨て去ってしまった、昔の日本人の姿や振る舞い、生活のありように仮託して、自分たちが求める人間らしさを描いているのではなかろうか。
その「人間らしさ」が果たして、昔の人間の持っていた心映えや行動基準や、生活のあり方なのかどうかは別として。
その辺のことを考えるに、杉浦日向子の作品が思い出される。
うつくしく、やさしく、おろかなり―私の惚れた「江戸」 (ちくま文庫)
- 作者: 杉浦 日向子
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2009/11/10
- メディア: 文庫
杉浦日向子いわゆる「江戸好き」として知られるが、しかしながら、盲目的に江戸を礼賛するだけの人ではなかったことが、本書を読むとよくわかる。
古き良き時代といわれるし、江戸が以下にその当時、世界的に見て先進的な町だったか杉浦の作品だけではなく色々と見聞きする。
それを理解していうのだが、私はやはり自分が生きる今がよいと思う。
よいと思うのだけれども、時代小説を手に取ってしまうのだ。
ひぐらし・・・って読むんですねぇ。(読めませんでした 汗)
内容紹介を読んで、すぐに読みたくなっちゃいました!
ワタシも「時代小説」を読むようになり
仰られていること、少しわかる気がします。
私のイメージだと、「足るを知る」というところでしょうか。
こうありたいなぁ~・・・っていう
古き良き時代の日本人の姿があるような気が。
(憧れであり、でも今じゃ無理・・・な生き方とか。)
※本の趣旨に合っているかどうかはわかりません(すいません)
by nyanta (2011-11-30 21:54)
nyantaさん、ありがとうございます。
エントリー酷いですね@誤字脱字等々。
本作とても良かったです。
とはいうものの、時代小説に淫する自分って、なんだかどうなんだか~と思ったりしますよ。
ですが、本作楽しんでください。
あ、それから「舟を編む」も。
こちらは、現代を舞台にした作品ですが、「国語編集部」という、一層「ヘンタイ」なところが舞台になっていますが、オモシロイと思います。
by 酔仙亭響人 (2011-11-30 23:35)