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その他Facebookで書いたこと [雑記]

 その他、フェイスブックにウォールを上げて、色々とご意見を頂戴したりしたことなど。

 ・「感動した!」話 

 フェイスブックでは(ブログでもそうだけれども)、「こんな話をフェイスブックで(ネットで)見かけました。とても感動した話なのでシェアします。」といいつつ、真贋も不明、というよりもほとんどガセネタ。それを指摘すると「フィクションでも、感動できるから良いじゃないですか。」と。

 例えば、震災後がれきの下から見つかった女性の遺体のしたにまだ生きている赤ちゃんが発見された。そして、その女性の携帯電話には「この子のことを愛している大きくなったら伝えて下さい。」というメッセージがあり、云々。しかし、写真はいつぞやの四川大地震の女性の遺体と子供の写真。


 以下、フェイスブックに書いたウォールより。
 なんか最近「感動を呼ぶ逸話」みたいなのが垣間見られる。飛行機の中の人種差別反対!とか、今時(こんじ)の震災で我が子を守った母親が携帯に残したメッセージとか。
 特に後者の話など、わが子を助けられなかった母親あるいは父親がいて、その無念をどう思っているのだろうか。何らかの悪意があるのか知らないが、虚偽の感動話をまず始めに流布させた人間がいて、それに「感動」してそれを無批判に、無自覚に流布させるその行為が、多くの人を傷つけているということに全く気がついていない。

 「感動したんだから、それが虚偽であろうが関係ない。」という、その無神経さ、想像力の無さが、結句、今の被災地の多くの苦しみを生んでいるということに...、簡単にシェアボタンを押す前になぜ心至らないのであろう。

 感動することを求めるのであれば、一人で感動していればいいじゃない。それを敢えて他人と分かち合う必要がどこにある?
 フィクションの世界にだって、感動できる話は溢れている。
 真偽が定かではない「感動話」に感動するよりも、本屋に行って小説を買え、ノンフィクションを読めよ。
 クリックして感動話をロハで読んで感動して、シェアするなんて、いささかなりとも恥ずかしいと思わないのだろうか。

 あるいは、何か?「私はこんな素晴らしい話に感動するヒトなんです。」ということを表明したいと?


 この後、ずいぶんと批判的なコメントを頂いた。

 けれども、フィクションとノンフィクションあるいは編集権を経て公にされた情報かそうでないか、そのことが重要だという考えは変わらない。

 ナイーブとかそういう問題ではなく、また、リテラシーの有無とかそういう問題でもない。それ以前の、想像力とかシンパシーとかまぁ、それもリテラシーの一部ではあるが。
 なんか、ネットって人の思考力を奪うのかね、と思った次第。〆


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