昨年から今にかけてのこと:1 [東日本大震災]
ブログはすっかりご無沙汰になってしまったが、再開。
昨年の、地震のことを備忘として記すことにする。
地震発生の前のことは覚えていない。
ちょうど、国会が開いていて、決算委員会(?)をやっていたはず。
「窓際」の補佐達が課長室に呼び込みのため、入っていたのを覚えている。
何だか「やれやれ」という表情で補佐達が出てきたときに地震が起こった。
地震の前に、緊急地震速報も、テレビや課員の携帯電話で鳴ったことを覚えている。
最初は、皆、「あらら、地震だぁ。」などと言っていた。
私も、席にいて様子をうかがっていたのだが、次第に地震が強くなってきた。
たまらず、机の下に潜り込んだ。
席の後ろの窓際に積んでいた書類が落ちてきても、まだ揺れはおさまらぬ。
確か、この建物はまだ免震工事の最中だったのだなぁ、ということを思い出しながら、そのとき「このまんま死んでしまうかもなぁ。」と思ったことを覚えている。はっきりとして、死の覚悟。
数分(?)経って、ようやく揺れがおさまり、机の下から顔を出したら、テレビ(NHK)は、地震対応の画面に切り替わっていた。
職員の一人は、部屋から近くの大きな公園に逃げ出し、皆が笑っていたが、そのうちテレビ報道によって、事はそれほど簡単なことではないことがわかってくる。
地震直後、どういう報道がなされていたかははっきり覚えていない。
しばらく経ってから、町田にある商業施設の駐車場の外階段が崩落して、死者が出たという報道が一番最初の記憶。
もちろん、連れ合いや実家への電話もつながらない。
携帯電話のメールも、届かない。
その一方で、地震に対応して何をするべきか、メモを作り始めた。
ちらりと、東京電力福島第一・第二原子力発電所、東北電力女川原子力発電所のことを考えた。
しかし、あれほどまでの被害を引き起こすなどとは、全く、全く思っていなかった。
しかし、「地震に対応して何をするべきかのメモ」とは、いったい何を書いたのか、そのファイルはなく、記憶が全くない。
地震後、課長は緊急の会議に呼ばれ、私と言えば、隣の「島」の総務半の職員と、食料の買い出しが必要かどうか相談したりしていたが、基本的には、NHKの報道を観ているしかすることがなかった。
省内でのメールはそれなりにできたが、基本的に地震に関連する指示などは特段なかったように記憶している。
そのうち、課長が幹部会議から戻ってきて、打ち合わせ。
とはいえ、緊急対策本部ができたこと(その頃の所属先と、その上の国全体のレベル)が報告されたぐらい。
テレビ報道では、九段会館の天井が落ちて死者が出ている模様、という報道があった。
それから、長い夜が始まった。
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