マエストロ・インバルのアルペンシンフォニー:第一夜 [コンサート]
芸術はエロスとタナトスを内蔵すると語られることがある。
即物的な私は、美術や文学作品で、あるいは、演劇や能や歌舞伎や、あるいは落語でさえ、そのことに納得することはあっても、音楽でそのようなことを感じることは、あまり、なかった。
視覚依存の美術や演劇などの舞台芸術だったら、ましてや言語を媒介とする文学作品だったらなおさら、生身の芸術家が直面するエロスとタナトスが表出されているということは、大なり小なり了解することができる。その、出来・不出来は別として。
人間の営為である芸術作品は自ずと、生(性あるいは聖)と死を内蔵するのは、当然といえば当然だろう。
しかし、音楽、特に好んで聴くクラシック音楽でそのような事を意識したことはあまりなかった。
まぁ、感受性の欠如あるいは鑑賞態度における何らかの不足があるのかもしれないが。
とはいえ、たとえば、「亡き王女のためのパヴァーヌ」とか「ラヴァルス」とかいろいろな作曲家によるミサ曲とか(ベタですね)、何となく、単なる音楽作品以上の意味づけを感じることはあっても、明確に自分で意識して、エロスとタナトスということを感じる、感じようとしたことはなかったように思う。
しかし、先のエントリーにも書いたけれども、「アルペンシンフォニー」の、あのコーダはどうだ。
まるで、人が息を引き取るときの最期の、一呼吸のようではないか?
例えが悪趣味で申し訳ないけれども、亡母の最期を思い出してしまった。
幸いにして(?)、昨日は、そこまでの凄みというか、粘度を感じることなく聴き終えることが出来たのだが。もちろん、それは、マエストロのあるいはオーケストラの、瑕疵では全く、ない。
いままで、何度か、「アルペンシンフォニー」を聴いたことがあるはずなのに、何で、今になって、と正直とまどっているのだが。
リヒャルト・ストラウスには「英雄の生涯」という、自分の来し方を音楽で表現した、一種奇異な、エゴの発露のような作品があるが、「アルペンシンフォニー」は、また別の意味で、ストラウスの生涯を俯瞰した作品のような気がする。もちろん、牽強付会であるのは承知だが。
リヒャルト・ストラウスの作品、実はあまり得意ではなかったのだけれども、昨日の演奏会で、少なくとも「アルペンシンフォニー」は、私にとって特別な曲になったような気がする。
さて、今夜の演奏会は。
追記。
ざっと、あくまでも、ざっと調べてみたけれども、「アルペンシンフォニー」に関する、上述のような私が思った解釈は無いみたい。
まぁ、私の、個人的な感想・解釈ということで、お目こぼしくださいませ。
個人的な、あくまでも個人的な、牽強付会・自家撞着・自己満足な解釈ということで。
以上本エントリー〆。
演奏会の感想は、また後ほど。
そうそう、ご結婚(2組)、コンクール優勝、ガチャポン「のだめグッズ」ゲット等、オケ内ではおめでたいことが続いているようで、何よりでございます。
わかりませんよ、着手はもっと早かったとはいえ、完成は1915年ですから、14年から第一次大戦が始まっているので、その最中です。そういう影があっても不思議ではないでしょうね。
by ののの (2006-11-26 03:58)
「ののの」さん、コメントありがとうございます。
なんだか、はしゃいだエントリーになってしまいました。
着手は、1911年らしいですね。
とはいえ、完成(1915年)から、30年以上生きてたわけで^^;
いずれにせよ、しょうもないエントリーに、コメントありがとうございました。
by 酔仙亭響人 (2006-11-26 13:39)