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昨年から今年にかけてのこと:6 [東日本大震災]

その一方で、東京電力福島第一原子力発電所の報道も断続的であるが、引き続き流れてきていた。
そうやって、震災の一日目の夜は深まり、朝を迎えつつあった。 

(承前)

深夜の飯は、どうしていたか?忘れた。夕飯は、何となく握り飯を食った記憶はある。
深夜の飯は、たぶん、庶務班の女性が、地下の食堂から調達してきたのではなかったか?しかし、それは、二日以降の記憶かもしれない。

いつもは、移動に伴う歓送会や歓迎会で食べていた、地下の第一食堂の焼きそばや野菜炒めを、皆で何となく黙々と食べていた記憶しかない。その間も、メールは次々に入ってくる、テレビはかまびすしい。

途中、長野で大きい余震があった。隣の補佐は、長野出身。しかし、余り動ずる様子もない。

その後も、メール頻々。打ち合わせも散発的に行われるが、余り様子は分からない。

途中、交通機関が動き始めたという知らせも入り、「ジョルダンライブ」の状況をプリントアウトして、課内に張り出したりしていた。これは、課内で随分助けてもらったと、後で言われた。そのあとも。

基本的にやることもなく、ただひたすら、東京電力福島第一原子力発電所の事故の情報を集めていた。
後に、講演会で話をして頂く、東京大学大学院の早野先生のツィートを「発見」するのはもう少し後の話。

今になって悔やまれるのは、ソーシャルをその時点でもっと活用していれば佳かったということ。

自分の職場でも、帰宅難民の方々を受け入れていたし、何よりも早野先生のツィートをもっと真剣にウォッチしていれば良かった。

後悔先に立たずだが、痛恨の念に堪えない。

深夜も過ぎて、基本的にはNHKの番組を見ているしかない。
気仙沼の、湾の火災はいっこうにおさまならない。

大槌も、酷い状況だというのは分かるが、どうしようもない。

ただ、画面を見ているしかない。

もう少しで夜が明けようかと言うときに、課長より「電車も動いているようだし、帰って少し休んでください。」とお言葉を頂き、帰ることにした。

幸い、使っている路線、二線は動いていた。


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