春は来たが [雑記]
昨年の震災以来、様々な言説に触れた。
政府の発表、マスコミの報道、SNS、ブログ、様々な組織・機関・団体のホームページ。
しみじみと思うのは、あくまでも様々な情報を、ダブルチェック・クロスチェックして自身で判断しなければならないということ。
なのであるが、ここに来て、なんだかぐったりと疲れている。
いろいろとわかったことを勘案してみると、政治家というのは嘘つきであるし、企業というのもずいぶんといい加減なのだということ。
それから、人というのはずいぶんと忘れるものだなぁということ。
前者はいうまでもないことなのかもしれないし、「何を今更」なのかもしれない。
しかし、ここまでとは、と感じている。
後者については、今月11日のことか。様々SNSをのぞいてみても、新聞・テレビの報道を見ても、「一年と一ヶ月」についての言辞・言及はあまり見られなかった。
むしろ、何か春が来てうきうきしているような印象さえ受けた。
正直「ふ~ん、なんだそんなもんか。」と思った。
加えて、自身のこと、仕事のことなどいろいろとあり、なんだか心底くたびれ果てた感じ。
Facebookでいろいろと「はしゃいで」はいるが、なんともね。
くたびれました。
花見などしてみる [雑記]
一昨年、高校の同窓会の幹事担当の学年になり、同級生と久々に集まった。
顔合わせの飲み会で、ちょうど向かいに座った同級生、「調子悪くて、こういう機会がないとなかなか、外に出ることもなくてねぇ。」などと言っていたので、たまに誘って飲みに行っている。
自宅も偶然、隣の隣駅でもあったし。
で、「花見でもしようか?」と言うことで、年明けからいろいろとどうしようかと考えていたのだが、今更この年になって、花の下で宴会でもないだろうと言うことで、ぷらぷら花を眺めながら散歩でもしようかと。
これは、二週間ほど前、桜が咲く前の様子。
水辺の桜が、何となく期待を持たせる。
で、隣駅で待ち合わせて、ふらりふらりと緑道を歩く。
ちゃんと咲いていました。
その後、さらにぷらぷら歩いて、その後はスペイン料理屋に。
久闊除して、大変楽しゅうございました。
友人も「いつも誘ってくれてありがとう。」とのこと。
いえいえ、みんなにこにこして会えるのであれば、いつでも喜んで声かけますよ。
年寄りの花見 [雑記]
以前から、高校時代の友人と「花見しようか?」と言っていて、今日言って参りました。
一人は仕事(?)で来られなかったのですが、隣駅で待ち合わせて、ふらりと緑道を歩いて。
これは、二週間ほど前の緑道から撮った写真。まだ、つぼみは固く。
隣駅からぷらぷら歩いて、何を話すともなく、三人で。
天気は良かったけれども、寒かった~。
地元駅を通り過ぎて、さらにぶらぶらして、最後は近所のスペイン料理屋に行って、久闊を除す。
同級生一人は、ずいぶんと元気になって、本当に何よりだった。
「いつも誘ってくれてありがとう。」と。
いえいえ、何を言う。同級生じゃない。
うれしい一日でした。
年度改まったものの [雑記]
あっという間の四月。
異動があったり(ワタクシではありませんが)、何やらばたばた。
おまけに、今年は文字通りの三寒四温の冬だった。
公私ともに、何ともばたばた慌ただしく、色々と気がかりなことばかりの年度初めになってしまった。
そんな中、読み終えました。
夏天の虹―みをつくし料理帖 (角川春樹事務所 (時代小説文庫))
- 作者: 高田 郁
- 出版社/メーカー: 角川春樹事務所
- 発売日: 2012/03/15
- メディア: 文庫
前作「新星ひとつ」を復習してから読み終えましたが、う~む何とも。
第一章は何とも切ない。
しかし、何となく、終結に向けての「つなぎ」という感じか?
予想!「医食同源」か?
他にも色々読んでいるのだが・・・。
作者、話を作るのがほんとにうまい。
本作、話者がどんな人か(まぁ、それは最初からわかっているのだが)、何となく終章を前にわかったのだが、淡々とした運びの中に、少しくオソロシイは話でもあったりする。
どうにも不思議な物語でした。
どうも読んでいる本と、毎度毎度の書評ピックアップとが食い違っているかもしませぬが、ご愛敬ということで。
しばらく、苦闘の日々が続くなぁ。
セミ・ファイナルラウンド、終了。 [雑記]
金・土・日とセミファイナルラウンド。
金曜日は仕事があったので結果を確認。
土曜日はコンサートがあったため、やはり結果の確認のみ。
そして、日曜日は満を持して、BS-1で観戦。
上位4チームによる総当たり戦ということで、かなりしまった闘いになりました。
が、しかし、東レは危なげないゲーム運びで一位通過。
今週末、国立代々木競技場第一体育館での決勝戦に臨みます。
ワタクシも、指定席を獲ったので応援でございますよ。
いやはや、力が入ります。
まず一勝 [雑記]
Vリーグセミファイナルラウンド。
東レ、まず岡山に一勝。
3-1とストレートではなかったけれど、さすがに四強ですから、簡単には勝たせてくれないでしょう。
明日は、久光製薬。
がんばって欲しい!
その他Facebookで書いたこと [雑記]
その他、フェイスブックにウォールを上げて、色々とご意見を頂戴したりしたことなど。
・「感動した!」話
フェイスブックでは(ブログでもそうだけれども)、「こんな話をフェイスブックで(ネットで)見かけました。とても感動した話なのでシェアします。」といいつつ、真贋も不明、というよりもほとんどガセネタ。それを指摘すると「フィクションでも、感動できるから良いじゃないですか。」と。
例えば、震災後がれきの下から見つかった女性の遺体のしたにまだ生きている赤ちゃんが発見された。そして、その女性の携帯電話には「この子のことを愛している大きくなったら伝えて下さい。」というメッセージがあり、云々。しかし、写真はいつぞやの四川大地震の女性の遺体と子供の写真。
以下、フェイスブックに書いたウォールより。
なんか最近「感動を呼ぶ逸話」みたいなのが垣間見られる。飛行機の中の人種差別反対!とか、今時(こんじ)の震災で我が子を守った母親が携帯に残したメッセージとか。
特に後者の話など、わが子を助けられなかった母親あるいは父親がいて、その無念をどう思っているのだろうか。何らかの悪意があるのか知らないが、虚偽の感動話をまず始めに流布させた人間がいて、それに「感動」してそれを無批判に、無自覚に流布させるその行為が、多くの人を傷つけているということに全く気がついていない。
「感動したんだから、それが虚偽であろうが関係ない。」という、その無神経さ、想像力の無さが、結句、今の被災地の多くの苦しみを生んでいるということに...、簡単にシェアボタンを押す前になぜ心至らないのであろう。
感動することを求めるのであれば、一人で感動していればいいじゃない。それを敢えて他人と分かち合う必要がどこにある?
フィクションの世界にだって、感動できる話は溢れている。
真偽が定かではない「感動話」に感動するよりも、本屋に行って小説を買え、ノンフィクションを読めよ。
クリックして感動話をロハで読んで感動して、シェアするなんて、いささかなりとも恥ずかしいと思わないのだろうか。
あるいは、何か?「私はこんな素晴らしい話に感動するヒトなんです。」ということを表明したいと?
この後、ずいぶんと批判的なコメントを頂いた。
けれども、フィクションとノンフィクションあるいは編集権を経て公にされた情報かそうでないか、そのことが重要だという考えは変わらない。
ナイーブとかそういう問題ではなく、また、リテラシーの有無とかそういう問題でもない。それ以前の、想像力とかシンパシーとかまぁ、それもリテラシーの一部ではあるが。
なんか、ネットって人の思考力を奪うのかね、と思った次第。〆
ドメとインター [雑記]
以下、フェイスブックに書いたウォールより。
ヒューマンエラーの観点から言うと、原子力は非常にドメスティックであり、航空業界はインターナショナル(ICAO)とか。IAEAは、原子力安全と言うよりは、相互監視の組織だから。
飛行機は、ごく少数のメーカーが飛行機を作り、エアラインが運航する。従って、インシデント・トラブルはすぐに運行しているエアラインで共有される。他方で、原子力発電所は各国の重電メーカー・ゼネコンがてんでに作る。もちろん、原型炉とかはあるけれども。従って、原子力発電所の場合は、建設も運営も規制も、ドメドメになる。
東京電力福島第一原子力発電所の事故も、その辺に遠因があるのではないかと思う次第。
このことは、日放協の「プロフェッショナル仕事の流儀」で、ボーイング787を日本で初運用した全日本空輸のパイロットのことを観て感じたこと。と言うか、二十年以上前から原子力発電の定倹時のヒューマンエラー予防の仕事をしていた時から感じていたこと。
さらに、番組内で、パイロットがいささかのエンジンの不調があっても表情を変えなかったという下りを観たが、不具合(インシデント)があっても動じない(表情をする)ということは、大規模システム(原子力発電所・旅客機・そして国家も!)を司る立場にとって必須の資質だろうと思う。現在見ている、全日本空輸のパイロットなどその典型。
予算委員会で泣いちゃう大臣(皆さん覚えてますか?)とか、事故の当事者の会社に乗り込んで怒鳴る総理大臣(kれは、皆さん覚えてますよね?)の操る大規模システムに乗っかっている私たちって・・・。
ということで、〆。
すっかりご無沙汰 [雑記]
Facebookにかまけて、すっかりブログはご無沙汰。
まぁ、仕事が忙しいということもあるけれども。
ちょいと思案して、フェイスブックに書いたことを流用しようかなぁ、などと。
昨日・今日は、バレー応援に東京体育館へ。
土曜日は、対デンソー戦。ちょいとひやりとしたが、まぁまぁの試合。試合後のインタビューでも木村戦は「不本意だった」旨応えていた。
ということで、本日のJT戦。やや緊張気味で試合に臨んだのだが(あ~、私は試合に臨んでないな。正確には観戦に臨んだが)、蓋を開けてみれば余裕のストレート勝ち。観ていて大変に快い試合でした。荒木選手も大活躍。第二セットは、ブロック・アタック・サービスエース。ほんとに素晴らしい。荒木選手インタビューに応じていたが、テレビ画面で見るよりも、それ以外の試合後の表情が素晴らしい。
今度は、16日からのセミファイナルラウンド。東レはレギュラーラウンドの第四位と対戦だが、さて、どこに当たるか。いかんせん岐阜での試合なので、観に行けないのが残念。
ファイナルラウンド(24日)には是非進んでほしいし、観に行きますよ。
疲労困憊 [雑記]
今週は、仕事諸々忙しく、加えて、怒髪天のことも数々あり、疲れ果てました。
仕事は、業者のダメダメぶりに怒髪天。
挙げ句の果てに、今日は飲みの約束を簡単に反故にされる始末。
なんだかね。がっかりな日でした。
心慰めるもの [雑記]
通勤につかっているターミナル駅の改札では、定期券を通すと定期券の出口のディスプレイに「PASMOのロボット」が現れる。
その姿を見ると、なんだか、毎日ほっとする。
というか、未だに磁気式定期券・・・。
日照時間 [雑記]
季節性情動障害(冬季鬱)なのか、今週は月曜日から、全く気勢あがらず。
週半ばになれば何となく離陸・巡航状態になるのだが、どうにも・・・。
十ヶ月後のこと、直近数日・数週間のことなど考えると、どうにもこうにもならん。
しかし、使っているサービス(ツィッター・facebook)によって、筆致が違うのはなぜか?
so-netブログの謎 [雑記]
体調悪(わろ)し [雑記]
始めました [雑記]
twitter始めました。
と言うか、始めていたのだが、リスタート。
ご恵贈頂いた本。
とても面白い。
月並みなことを言うと、弁当からもそれぞれの人生が垣間見える。
ちょっと泣きそうになる弁当もあり。
高校時代に亡母が作ってくれた弁当を思い出す。
いい本です。
「復興の狼煙」 [雑記]
幾度かエントリーでも取り上げた「復興の狼煙」。
近所で、といっても車で小一時間だが、撮影会があったので出かけてきた。
結構ぎりぎりに着いてみれば、結構な人が集まっていました。100人以上いらしたかな。
町民ではないけれども、集合写真に参加させてもらいました。
皆さん、元気でした。
が、しかし、港はただ瓦礫が片付けられただけという状況。
漁港から離れた道路のガードレールも、ぐにゃりと曲がっていて。
漁港の突端まで歩いて行ってみましたが、岸壁はほとんどなくmakeshiftのブロックが百個以上置かれていました。
涙出たのは、寒風のせいだけではない。
また来ようと思った。
何度も訪れる [雑記]
年末年始のんびり過ごして、今日から、車を出してもらって岩手の沿岸地域へ。
いろいろな人と話をする。
大晦日までは、「今年一年を振り返る」といったような番組があったが、年が改まって、スポーツ・バラエティー・演芸などなど。
もちろん、新しい年、賑々しい番組をと考えるのだろうけれども、ちょいとどうかと思うね。
いろいろな人と話をして、最初は新しい年を喜んではいるが、そのうち結局、あのときとそれ以降の話になる。
前向きな話ではあるけれども、そのうちに、皆さん顔を曇らせることがある。
先ほども、日放協で三陸鉄道を取り上げていたが、やはり同じ。
まだ全線復旧していない路線の各駅に水仙を植えるとのこと。
今週土曜日は、洋野町に行く予定。
春にも、夏にも、秋にも、何度でも訪れるつもり。
たくさんの人にあって、たくさんの話をしたい。
長く忘れずに、長く思っていたい。
年の瀬 [雑記]
年末年始帰ることの、一つの理由。 餅搗き終了。
亡母が病を得た時に景気づけと言うことで、父の実家からもらってきた臼と杵で餅を搗いている。
この数年、父は既に餅搗きはリタイア。
代わりに私と義兄、甥が担当。
一臼搗くと結構きつい。
私の倍の「年齢」ほどの臼と杵。
杵が結構大きく、搗くのが結構大変。
後は、明日墓参りして年末のおつとめ、おしまい。
昨日は、暖かかったが、今日は雪がちらほら。
さても師走。 [雑記]
帰省。
新幹線のシートに身を預けてみれば、つくづく疲れてました。
ラフマニノフのスコアを持ってきましたが、三楽章まで保たず。ひたすら寝続け。
実家に帰ってからは、餅つきのための臼と杵を出して、後はこたつで寝通づけました。
明日の餅つきのために、もう休みます。
今年も、あと三日。
どうかどうか、皆々、心やすい新年でありますよう。
祝・優勝! [雑記]
土曜日、満を持して東京体育館へ。
対デンソーエアリービーズ戦。3-0で楽勝でございました。
その日は、機嫌良く、友人と新宿でふぐを食す。
そして、昨日。再び、東京体育館へ。
いささか緊張する。
決勝戦は、トヨタ車体クィンシーズ。今大会で、かなり勢いのあるチーム。
で・・・。
案の定、第1セットは3点を先取され、結局は21-25でロスト。
第2セットは、デュースの末、なんとか27-25で奪う。
なんとな~く、いや~な感じがする。
第3セットは、25-21で東レ。点数の上では、何となく東レの調子が上向いた感じがするが、結構一進一退の試合だったと記憶する。
第4セット、先に20点台に乗せたのはトヨタ車体。
最後に何とか逆転して優勝決定。
大変うれしゅうございました。
が、独りで観に行っているので、あまりあからさまに騒げませんでした。せいぜい、拍手ぐらい。
しかし、良かった、良かった。
表彰式も当然見ましたよ。
皇后杯を受け取るキャプテンが非常にうれしそうだったのが印象に残っております。
さて、この調子でVリーグもがんばって欲しい。
とはいえ、東京で試合が見られるのは、来年なのだが・・・。
しかし、我ながら、なぜバレーボールにはまっているのであろう?
予習・読了 [雑記]
ベッドで身体休めながら、読んだ本。
福島の県紙「河北新報」が、東日本大震災でどのように報道し、社としてどのような被害に遭い、どのように対応したか。
また、例えば東京電力福島第一原子力発電所の事故に際して、どのようなジレンマに陥ったか、個々の記者はどのように捉えどう行動したか、が語られる。
県紙としての矜恃と苦悩がよくわかる。
読売新聞の記者・社員78人が、東日本大震災について、発生時何をしていたか、どう行動したか、何を取材したか、何を取材省としたか、どう感じたかを綴る。
それぞれのいわゆる生の声であるだけに、説得力がある。
「編集」が加えられていない、これも一つの東日本大震災の記録である。
活字ではない、そして演出されていない、震災の記録。
言葉もなくただただ画面に見入るのみだった。
本格ダウン [雑記]
ダウンに本格も何もないものだが・・・。
月曜日、普通に出社し、某媒体の方とお会いして、その後コンサートへ。
ダウンの話しは、措いておくとして・・・。
ショスタコーヴィチのチェロコンチェルト二番と、シンフォニー5番。
チェロコンチェルト、ある意味で「奇矯」な曲ではあるのだが、ソリストが素晴らしく、また、オケの演奏も良く、堪能できました。
しかし、フライングの拍手は全く頂けない。
何しろ、チェロ独奏が「死ぬ」事で終わる曲(だと、自分なりには思っている・感じている)。
それであれは、本当に興を殺がれる。
シンフォニー5番は、大層素晴らしい演奏でした。
とても筋肉質な、緊張感溢れる演奏。
ただ、この頃から何となく、調子悪かったのですね。
同期会 [雑記]
高校時代の同級生と、飲み会しました。
楽しかった。
自身、高校時代楽しいと思わなかったけれども、共に三年間過ごした同級生と会うと、懐かしく嬉しい。
ちょいと不調だったらしい同級生も、最近は元気らしくその顔を見るのも、また嬉しい。
新年の再会を期して。